こなたび〜世界一周編〜

2018年4月9日から世界一周。世界一フットワークの軽いライブキッズになる!

コルカタのカーリー寺院で生贄にされた山羊を見た日。

【世界一周 76日目】

6月23日

 

この日はみんなでカーリー寺院へ行くことに!

ここはヒンドゥー教の神様、カーリー女神が祀られてる寺院。

 

世界三大宗教ではないヒンドゥー教

キリスト教、イスラム教、仏教が世界三大宗教なんだけど、仏教の信者数が4億人なのに対してヒンドゥー教は9億人ほど。

人数はかなり多いんだけど、三大宗教には入ってない。

 

その理由とされてるのは、カースト制度があることと、めちゃくちゃ狭い地域でしか信仰されてないから。

インド、ネパール、バングラデシュだけらしい。

 

 

ヒンドゥー教には三大神って呼ばれる3人の神様がいる。

 

シヴァ(破壊の神)

ビシュヌ(維持の神)

ブラフマー(創造の神)

 

カーリーは、シヴァの妻。

 

 

 パズドラだとこれ

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モンストだとこれ

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インドだとこれ

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こ、こわすぎません?

生首いっぱい、、、

 

下で踏まれてるのが、旦那のシヴァ。

カーリー神が戦いに勝ったのに勢いが止まらず、暴れまくって大地が壊れそうになったのを止めてるらしい。

破壊の神が止めるほどって!

 

カーリー神は血と殺戮を好む戦いの女神なのです。

そんなもん神様にするなよ!と思ってしまう宗教っておもしろいですね。

 

ちなみにそんなカーリーとシヴァの息子がガネーシャ。

日本では商売繁盛の神様で有名。

 

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ここでは毎日、山羊を生贄にしてる。

もちろん、血を好むカーリー神に捧げるため。

 

 

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バスに乗ってやってきた!

 

寺院内は写真撮影が禁止。

土足も禁止なので、近くのお店に置いてもらうことに。

ちょっと雨がパラついてたのもあって中はドロドロ。

 

山羊を生贄に捧げる儀式

 

山羊は2匹ずつ連れてこられて、水で清められて首に花をかけられる。

そこから、壁に囲われた一角に連れて行かれて首切り台みたいなやつに固定された。

 

山羊も何をこれから何が起こるのかわかっているのか、めちゃくちゃ騒ぐ。

山羊は暴れまくって、太鼓の音が鳴って、男性が一気に鉈のようなもので首を落とす。

 

 

びっくりしたのはこの後。

 

首は落とされても目玉は動くし、首自体も動いてる。

体も足をじたばた動かして、想像していたよりもずっと長い時間動いてた。

 

 

その後山羊は別の区画に運ばれて、解体されて、食肉になっていった。

 

 

これ見ながら、本当にショックだったことがあってね。

ショックだったのは、自分がたいして何も感じなかったから。

こんな光景を見ても、「おなかすいたなあ。」なんて考えてたし、山羊に対してかわいそうとも思わなかった。

首を落としても案外動けるんだな、生き物ってすごいんだなって感じただけ。

 

 

目の前で山羊が殺されても、なんだか現実味がなかった。

ピンとこないというか。

 

 

でも、信仰ってすごいなっていうのはものすごく思った。

宗教はおもしろい。

 

日本にも生贄の儀式は昔からあったし、昭和の初め頃まで「人柱」の風習があったなんて都市伝説もある。

でも日本の生贄とは全然違うよね。

生贄=自分たちではどうしようもない恐怖に対抗するための最終手段とか、貧しい村で生贄という名目で食い扶持を減らしたり、厄介者を排除するって意味合いなのかなって思ってたし。

うまく言えないけど。

 

 

なんとなく「命の大切さを知った」とか「日本ではできない体験をして色々考えさせられた」とか、そんなわかった風のことは書きたくなかったので正直に感想を書きました。

 

 

このあとは普通に町歩きしたり、カレー食べたり。

 

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7月4日深夜2時40分、今になって思うこと

うーん、山羊の儀式見てから10日以上経ってて、今思い出しながらブログ書いてるんだけどなんか違うなあ。

あのときは本当に何も感じなかったんだよ。

 

山羊の首が落とされても「雨降ってきて足元どろどろで嫌だなあ」とか、「野良犬たくさんいてこわいな」とか、そんなんばっかり考えてたんだ。

 

この儀式は昔ひとでもされてたらしい。

2015年にはカーリーを信仰していたやばい奴が、5歳のこどもを生贄として殺した事件もあった。こいつは怒った村人に殺されてる。

 

信仰の元であれば殺生は許されるのか

山羊なら殺してもいいのか

こどもはなぜだめなのか

罪人は殺してもいいのか

 

きっと立場や宗教によって、ひとりひとりの考えによって答えは違う

 

わたしは死んでもいいひとがいるなんて思ってないけど、殺人犯が脱獄してきてまた罪を重ねたら「まじかよ何でそんな奴生かしてたんだよ」って思うだろうし、動物が死ぬのは嫌だけどそのへんの虫は平気でつぶす。

 

ああもう、よくわかんないや。

とにかく無知は悪だ。

知ろうとしないことは悪いことだとわたしは思ってる。

(人生は限りがあるので、娯楽はまた別だと思ってるけど)

 

自分の無知さに嫌気がさしながら、また新しいことを知って、自分の考えに組み込んで、そうやってずっと生きて行く。

知識欲がなくなったら、それはある意味自分が死ぬとき。

 

 

きれいにまとめたかったけどまとまんないや。

「何も感じなかった」なんて書いたけど、十分わたしの中に何かを残した出来事だったみたい。

まだもやもやしてよくわかんないけど、このブログ書くのに色々調べた。

今は自分の無知さに嫌気がさしながら、明日もまた新しい物を見に行こうとおもう。

 

 

「僕は死ぬように生きていたくはない。」

中村一義さんのキャノンボールの歌詞を思い出した。

 

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